「マトリックス トリロジー」を見て 2011年3-4月@Blue-lay DVD ★★★★★
いわずと知れた、マトリックス3部作の集約セット版。
震災から続いていた、ソーシャルメディアやバーチャル空間との関わりについて、
より深く考えたいと思いから閲覧。
というか、リアルとバーチャル、人間と機械(使う人と使われる人)、生命の限界、
人間の可能性、などについて、未来に思いを馳せたかった。
マトリックス(1作目) が何といってもたまらない。
基本マトリックスが話の中心になっていて、現実(機械上位社会) とのギャップが切なくなる。
いままで現実だと思っていた世界は、機械が見せていた夢(作っていた世界) という点。
人間は自らのエゴによって、機械を発展させた挙句、機械に取って代わられるという世界観。
これらに強く共感する。
共感する、というと不思議かもしれないが、
自分が、世界や人間の未来を悲観的に捉える一人であり、
この映画の世界がとてもありえる(想像している)世界に近いと思えるという意味での共感。
(科学的なことも含めて)
途中のこんなセリフに鳥肌が立つ。
「気づいたんだ、人間は実は哺乳類では無いと。この惑星の哺乳類はすべて本能的に周りの環境と自然均衡を築こうとするが、君ら人間は違う。一つの地域に移っては増えては増え、増え続ける、全ての資源を消費しつくすまでだ。唯一、君らが生きていく道は、別の場所へ拡散していくこと。
これと同じことをしている生物がこの惑星上に他にもいるんだ。わかるかい? ・・・ウイルスだよ。」
その瞬間に、シャーレの中でウイルスがものすごい勢いで広がっていく様子と、
地球上に人間がものすごい勢いで広がっていく様子が頭の中で重なる。
そして、同時に、資源を使い倒し、どっちかといえば、資源を自ら製造できる力を手に入れていく、
という、人間の長い歴史がぼんやり頭に浮かんでくる。
(ようやく再生の時代といいながらも、その根本的解決はできないまま(人類の総意としてはする気が無いまま)。)
次のように思ってしまいがちだが、
人間が生物の中で、もっとも優れている、という感覚を持ちたくないと思っている。
「地球のウイルス」というくらいに思っていたほうが、
(少なくとも自分くらい)は、地球に悪いことを少しでもしないような生き方ができるのでは、という感覚。
自然に囲まれ、人に恵まれ、美しい人生を送るという意味では地球が好きだが、
かといって、別に地球を守りたいという高尚な気持ちがあるわけではない。
単純に、あまり、自分の生が、地球というものの生に対して、汚したくないな、という感覚。
便利になったからといって、それが当たり前になりたくないという感覚。
その気になれば、石器時代に戻ってもいいんだよ、というくらいの想像。
何万年分も有害なプルトニウムを 作り続けてまで生活(&贅沢)したいですか、という疑問。
そして、リローデッド・レボリューションズになると、その人間たちの抵抗物語になる。
はっきりいって、もはや完成されつつある機械文明にかなう術もないから、
そこに、主人公として肩入れする気持ちは毛頭無かった。
ましてや、必死に生きている人間たちは、
機械への電力供給のための効率的なシステムの一部として利用されていたと知って、
さらに絶望に値する。
望む少数の人間をマトリックスから話し、コミュニティを形成させる。
一定の期間を経て、再構成のために、それを殲滅させる。
5度目位だといっていた気がする。
その輪廻転生具合も達観視点を与えてくれるひとつ。
バグや修正プログラム、自制プログラムなど、
プログラムの世界がとてもいいように人間界と混じりあい、
人間たちの構造を皮肉的にあぶりだしたりする。
最後、 トリニティも息絶え、
人類&機械文明の救世主となり力尽きるネオ
形ばかりの「共生」は「平和」というハッピーエンドに見えつつも、
最後には、設計者と預言者が語り合う。
自分には、殲滅の先延ばしであり、何の解決にもなっていない、としか受け取れなかった。
次のような解釈もあるようだが、 そこまで楽観的には思えなかったりもする。
設計者と預言者が語り合ったのこそが、最上位の世界(いわば僕らが生きる人間界)で、
機械が支配する世界とマトリックスがさらに複層的なシミュレーション:
そのような時代にどううまく存続できるかを試すシミュレーション
いまさら、こんな議論をしてくれる人は少ないと思うが、
こういうことを考えるのは大好きだ。
あぁ、長くなってしまったので、おしまい。
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